加養浩幸の生い立ち(その3)

さて、小学校4年生でトランペットを始めた加養少年。残念ながら、小学校時代の加養少年の記憶が私にはほとんどない。体型は今とほとんど変わっていなかったこと、顧問の先生が近藤先生という、ちょっとこわめの女の先生であったこと、6年生になると4年生の新人を一人担当してレッスンするのだが、加養少年の担当が大原さんというかわいい女の子であったこと・・・こんなことくらいしか記憶に残っていない。しかしこれから書く中学校時代のことを考えると、この小学校高学年時代に、さらに音楽を聴き続けていたことは間違いないだろう。

話を中学校時代に移す前に、ここで更に遡って幼少の頃の加養少年について書いておく。

今でこそ、日本各地を駆け回るその人なのだが、その地理的感覚の良さに驚く人も少なくないはず。実は、本人が自らを称して「歩く国土地理院」と言わしめる理由が幼少の頃にあるのだ。

加養少年の父は、一代でハニードールというパン屋さんを築いた苦労人なのだが、同時に車での旅行が趣味であり、必然的に加養少年は、その車に乗せられて、各地に旅行に出かけていた。その移動中、助手席座る加養少年に、父は地図を持たせ、いわゆるナビをさせていたのである。そして、地図を一生懸命見て、右、左という加養少年の言う通りに車を走らせた。たとえその指示が間違っていると判っていても、である。そして、それを繰り返していくうちに、誰もが驚くであろう、その地理的感覚を身につけていったのである。