加養浩幸の生い立ち(その13)
筆者である私も昭和の森ブラスアンサンブルに参加していたため、ちょくちょく土気中にお邪魔していた。合奏もことあるたびに聴かせて頂いたのだが、やはりその上達速度には驚くばかりだった。
ついこの前までいわゆる中学生らしい音を出していたバンドが、スペイン奇想曲のバイオリンソロをサックスで演奏する部分は気がついたら全員ビヴラートがかかり、トランペットのファンファーレはものの見事に決まる・・。(曲をご存知の方なら「ああ、あそこね」と納得して頂けるであろう。)本当に「一体この短い期間に何が起こったんだろう」と関心するばかりだった。
もちろん、その上達速度に比例して、生徒達の目つき顔つきも激変した。年が変わり、暑い時期にもなると、もはや「中学生」というよりは「プレーヤー」としての表情。廣澤先生、加養先生の魂が乗り移ったかのような集団と化していた。
そして夏合宿。20年以上も前になるのだが、今でもはっきり覚えている光景が2つある。
一つは夜の合奏。すでに聴き手を圧倒するほどのサウンドであるにもかかわらず、加養先生が厳しい表情で歩き回り、その演奏に聴き入っている私の前を「全然だめだ」と言いながら通り過ぎていった。その一言を聞いたとき、「この人は自分とは住む世界が違うんだなあ」とはじめて実感した。
もう一つは「夜中のフルートパートのパート練習」である。当時部長であったIさん率いるフルートパート。夜の合奏でつかまったのか、就寝時間を過ぎてもパート練習をしていた。終わったのは文字通り夜が明けてから。廣澤先生も加養先生も「最後だから好きなようにさせる。」と、一切口を挟まなかった。
この衝撃の合宿を経て、コンクールへと話は進む。
次回・・・。
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