加養浩幸の生い立ち(その7)
さて、加養少年が迎える最後のコンクール。演奏曲目は、課題曲がジュビラーテ、自由曲はワーグナーのローエングリン・エルザの大聖堂への行列。
当時2・3年生で48名いた大網中学校吹奏楽部。そこに3人の1年生が入り、51名で練習を重ねていた。
顧問の先生は、もし誰かが出られなくなったときに、と考えて一人多く練習に参加させていたのだろう。しかし、51人は順調に練習をこなし、当時8月の下旬に行われていたコンクールを迎える。そこでコンクールに出られなくなってしまったのが加養少年の後輩である、トランペットの1年生だった。他の1年生が早々と客席に行ってしまった中で、その少年だけがステージ裏までコンクールメンバーと行動をともにした。
そして、50人がステージへと出て行くその時、加養少年は、ステージ袖に残される1年生に、こう言った。
「自由曲のハイB♭、決めるからな、聴いてろよ。」
この、残された少年は、「加養先輩のあの一言は忘れられない。」と後に語っている。恐らく、「今までがんばってきたおまえの分までがんばるぞ。」という想いが込められていたのだろう。
日ごろ、時には厳しい加養先生であるが、その言葉の裏にある暖かさを感じるのは私だけではないだろう。そういった人を想う気持ちが、この時代から育まれていたことを実感させるエピソードである。
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