加養浩幸の生い立ち(その5)
さて、今日からは、中学生である加養少年の音楽との関わりについてです。
小学校3年生で音楽に目覚めた加養少年は、当然のことながら、レコードを 買いあさり、聴きまくっていたのです。ここで、加養少年の驚くべきところは、 常に「レコードを聴いて、その演奏の善し悪しを判断できた。」というところです。 わけもわからず、また、マニアックな道に走り、「あの指揮者がいい。」 「あのプレーヤーはいい音だ。」なんていう中学生は中にはいるかもしれません。 しかし、当時の加養少年のその判断力は驚くべきものがあったのです。
たとえば、音楽の先生(同時に顧問でも会った先生)に、「先生、この鑑賞教材は こっちのほうがいいよ。」といって、学校にレコードを持ってくるのです。そのひとつの例が サラサーテのチゴイネルワイゼンでした。当時まだ若かったパールマンのレコードを 持ってきて、「先生、こいつは絶対に世界一になるから、次の授業からはこれを聴いてよ。」というのです。もちろん音楽の善し悪しは好みの問題という部分もあります。しかし、当時無名だった パールマンがその後世界的に有名になったことから考えてもその判断力の凄さが伺えるというものです。
こんな調子で、この曲はこっち、この演奏は誰の、という具合に次から次へとレコードを持ってきたため、大網中の鑑賞教材はすべて加養少年のレコードになってしまったのです。
- 目次: 音楽監督の部屋
- 前: 加養浩幸の生い立ち(その4)
- 次: 加養浩幸の生い立ち(その6)